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谷崎潤一郎「痴人の愛」

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「痴人」。その意味は、おろかな人。ばかもの。たわけもの。うつけもの。愚人。

譲治のことを「痴人」と表現した。痴人であっても良い、それほどまでにナオミにおぼれてしまった。

あくまで譲治の立場で書かれた本であり、ナオミは一体どういう心持ちだったのか知りたいと思った。途中で変わったのか?(その場合は、何がきっかけで??)もともと魔性の女だったのか?裏切りとも取れる行動をし、追い出され、そしてまた戻ってくる。戻ってきた目的が怖い。すっかり、悪魔、魔女のよう(笑)。

男の人には、女を自分好みに仕上げたいという欲求があるのか。渡辺淳一の「化身」もそんな感じだったけど、そっちは、きちんと巣立っていった。男がそういうスタンスの時、女は自分を押し殺せばいいのか? 従順な人形であればいいのか? いつまでも自分の枠の中に閉じ込めておこうと考えても「心」があるのだから、難しいのでは?? 所有物ではありません。こんな関係いつまでも続くわけがないと、読みながらこの先どうなるのだろう??と早く読み進めたいような、でも終わってしまうのが嫌でゆっくり読みたいような、心躍るストーリーでした。

いろいろな感情が入り交じり、こんな精神状態になってしまったら、理性を超えてしまった感覚で、どうしようもなくなる。ナオミを追い出した後の譲治の心の乱れ具合が大変リアルで面白かった。一気に立場が逆転し、これが愛するが故の弱さ、恐ろしさか。


せっかくなので、映画も観てみようと、1967年版を見てみました。

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小説では、もっときれいで素敵なところに住んでいるイメージでしたが、映画版では、生活感溢れるおうちでした。どっちにしてもナオミの脱ぎ捨てた服が散らかっているというのはおんなじでした。

冴えない譲治のイメージも具体化できました。ナオミは出会った時がもう19歳という設定に変わっており、すでに大人というか悪さが溢れていました。浜田と熊谷が自宅に泊まった時のナオミはかなり悪い女でしたね(笑) 小説ではそこまで悪くない、清純なイメージでした。

ナオミを写した写真、綺麗でリアルでよかったです。

小説では、ナオミを追い出した後の譲治の後悔の念と大切なナオミを失うかもしれないという恐怖の気持ちがとても象徴的に描かれていました。映画の方では、追い出した後ではなく、友達の関係になった時のおあずけに耐えられないという苦悩がたっぷり描かれていました。馬乗りがとても重要な行為で、譲治の馬鹿さ加減(!?)に苦笑でした。

二人が良ければよいということなのでしょうかね・・・。あれ?ナオミも痴人??