2025.04.02 高村光太郎「智恵子抄」
高村光太郎の詩集『智恵子抄』を読みました。胸の奥が静かに熱くなるような、そんな感覚に包まれました。
この詩集は、光太郎が最愛の妻・智恵子に向けて書いた詩を集めたものです。読み進めるうちに、智恵子という存在がどれだけ特別で、かけがえのない人だったのかが、言葉の一つひとつから沁みてきました。
特に心に残った詩がいくつかあります。
まず「人に(いやなんです)」の冒頭の「いやなんです」。
たったこれだけの言葉に、どれだけの感情が詰まっているんだろう。取り繕わず、飾らず、まっすぐに吐き出されたような「いやなんです」という言葉に、私は思わず立ち止まりました。誰しも、心の底から「いや」と思う瞬間がある。でも、それを言葉にできるかどうか。感情をこんなにもストレートに表現できる詩に、強くひきつけられました。
次に「人類の泉」の中の一節、「あなたは本当に私の半身です」。
この言葉には、深い深い愛が込められていて、読むたびに胸がきゅっと締めつけられます。「半身」という表現に、相手が自分の一部であり、なくてはならない存在であるという強い想いがあふれています。恋愛や夫婦の枠を超えた、魂のようなつながりを感じさせる言葉でした。
そして「僕等」と「人に(遊びぢゃない)」。
これらの詩には、光太郎が智恵子のすべてを好きで、すべてを愛おしく思っていることが強く伝わってきます。ただの理想化ではなく、弱さも不安も、そのまま受け入れて愛している。こんなにも全力で、こんなにもまっすぐに人を想う気持ちに、私はただただ圧倒されました。
それと同時に、自分はこの詩たちをちゃんと理解できているのだろうか?
光太郎の想いを、私の中でちゃんと受け止められているのか?
そんな問いが自然と浮かんできました。
詩というのは、ただ読むだけではなく、自分の中の感受性を試されるものだと思います。作者の思いをどう受け取るか、それを自分の心のどこに置くか——それは読む人それぞれに委ねられているのかもしれません。
私は、光太郎の言葉の一つひとつに真剣に向き合い、少しでもその想いを感じ取れる自分でありたいと思いました。詩に込められた愛のかたちを、これからも大切に味わっていきたいです。