2024.06.01 能登半島地震 不動産鑑定士による被災地支援活動(住家被害認定調査)
この5月、とても忙しかったです。と言うのは、普段と違う約ひと月を過ごしたからです。
今年の1月1日に発生した能登半島地震。被災地では、被害を受けた建物について罹災証明書が発行されていますが、その数が膨大な量に及び、該当市町の職員に加え、全国の応援職員の力を借りて行われていてもまだ十分に対応しきれていない状況にあります。また、建物によっては調査内容そのものが難しい場合もあります。
これまでも公益社団法人日本不動産鑑定士協会連合会では、近年多発する自然災害発生時には、自治体の行う住家被害認定調査等への技術的支援、研修会を行ってきており、私自身も研修は受けていました。ただ、どこか他人事で、まさか、この石川県でこんな大きな地震が来るとは夢にも思っていませんでした。
今回の能登半島地震において、発災直後の1月9日付で、国土交通省より公益社団法人日本不動産鑑定士協会連合会に対して、被災地方公共団体の行う住家被害認定調査等へ協力することを要請されました(国土交通省からの要請文はこちら)。そして1月中に早速、公益社団法人日本不動産鑑定士協会連合会の災害対策支援特別委員会の委員である不動産鑑定士が石川県に来られました。私自身も地元石川県不動産鑑定士協会の副会長として同行し、被災した市町の状況の確認、住家被害認定調査に関する技術的助言を行う場に立ち会わせていただきました。
2月に入り、かほく市で不動産鑑定士が住家被害認定調査を実施することになりました。
東京から来られたエキスパート不動産鑑定士チームに、石川県の不動産鑑定士数名も交じり、実際に調査を行い勉強させていただきました。その時実際に被災住宅を訪れ、被害の状況を目の当たりにし、被害状況を訴える被災者の声も直接伺いました。何とか被害をくみ取れないかと調査を細かく行っても、内閣府の基準に照らすとあまり加点にならないということを実感しました。
その後3月には、石川県危機対策課から、石川県内の被災市町の住家被害認定調査への支援要請があり、4月から具体的に不動産鑑定士が派遣されることになりました。その範囲は珠洲市、志賀町、七尾市、穴水町、内灘町(5月に入ってからは輪島市も)と広域にわたるため、地元の石川県の不動産鑑定士や災害対策支援特別委員会の委員のみならず、全国の不動産鑑定士が協力することになりました。支援に当たり、佐藤麗司朗災害対策支援特別委員長には昼夜を問わず、各種段取り、調整、交渉等にご尽力をいただきました(今も継続中です)。
私自身は、4月中は調整が難しく、1日のみの参加でしたが、5月は泊まり込んだり、日帰りしたりと毎週のように家を空け、後半になると家に帰ったら家族からは「もう帰ってきたの??」と言われ、私がいなくてもすっかり家の中が回っていてありがたいものです(笑)。私を含めみなさん、普段の業務がある中調整をして、北は北海道から南は沖縄県まで、全国200人を超える不動産鑑定士がローテーションを組んで能登まで足を運んでくださり、経験者は指導的立場で活動なさっていました(今も継続中です)。
【宿泊施設】
全国の不動産鑑定士は、のと里山空港のすぐ近くにある「日本航空学園石川キャンパス」の一部を宿泊施設として利用し、ここを拠点に珠洲市、輪島市、志賀町等への調査に向かっていました。
のと里山空港
石川県出身の力士がお出迎えしてくれます。
日本航空学園のキャンパスです
全国の自治体職員もここを拠点に災害復旧作業に当たっておられます。
寮では、一部水道が復旧しておらず、私が宿泊した施設はトイレが使えず、いったん外に出て別の建物まで移動する必要がありました。でも大きな入浴施設もあって快適な場所でした。寮の食堂では健康的なご飯を朝と夜いただきました。
またこの食堂スペースを使って、毎日夜に勉強会がありました。全国の不動産鑑定士が日替わりで集まるため、初めて活動する人に経験者がレクチャーをし、また、実際に調査に入った人達は調査で感じた疑問点や問題点などの情報共有を行う場となりました。この能登の地で久しぶりにお会いできた方もいてうれしかったです。
丸一日、同じ班として2~3件の調査を行うと、共に戦った戦士という感じでなんとも言えない仲間意識が生まれてしまいます。見落としがあってはならないですし、みんなで協力して調査に当たります。役割分担をしたり、また、自分の担当分が終わると他の人の作業を手伝うという感じで、効率よく活動できるように工夫をします。判断が難しい損傷は内閣府の基準に照らし、みんなで知恵を出し合い判定を行いました。別の機会でお会いすれば、気軽にお話もできないような他県の鑑定士協会の会長さんや年齢の違う方とも、ともに汗を流し、スーツではなく作業着でお会いするからこその距離感がうれしかったです。
4月の調査の時に同じ班で行動したお二人に5月になって再会できました。遠くから能登の地まで何度も足を運んでくださることもうれしかったですし、たくさん経験を積んですっかり調査を上手にこなしていらっしゃる姿も頼もしく思いました。4月の時、畳をめくって床下を一生懸命に覗き込んで確認した時のことやその後の調査での出来事などいろいろなお話で盛り上がりました(ღˇᴗˇ)。o♡
東京のお菓子もいただき、とってもとっても美味しかったです(*´︶`*)♡ お心遣いありがとうございます💛
【珠洲市での活動】
珠洲市立図書館を拠点に活動を行いました。
調査に入る前に忙しく下準備をします。
倒壊した建物が多く残る珠洲市内。調査に向かいます。
調査に時間がかかったり、立て込んでいるときは、お昼をとる時間もなくコンビニでちょっと食べて次の現場へ向かうということもありましたが、時間が取れたとき、スーパーで美味しいお寿司を買って食べました!
調査が終わり図書館に戻ってからは、計算作業が待っています。何日かの活動日の中でたまたま石川県不動産鑑定士協会のメンバーが同じ班となった日がありました。兵庫県不動産鑑定士協会からプレゼントしていただいたおそろいのビブス姿で記念撮影しました!
珠洲市では実際の調査のほかに、窓口業務も担当させていただきました。
何を行うかというと、第1次調査の判定結果、第2次調査の判定結果について満足されない被災者の方で、再調査を求める方がいらっしゃいます。第1次調査は、大量に被災建物を迅速かつ公平に調査するために外観目視調査のみとなります。よって、内部の損傷がひどいと思われる場合は建物の内覧調査も行う第2次調査を受けた方が、より被害の程度を反映した判定となる場合があります。また第2次調査を行った場合でもその判定結果に満足されず、再調査(第3次調査)を求められる場合もあります。ご希望があれば、もちろん再調査に対応しているのですが、ただ、再調査を行うことによって判定結果が下がってしまうケースが少なからずあります。下がったとしてももとの判定には戻れず、最新の結果をもって判定結果となってしまいます。ですから、ケースによっては再調査をしない方がよい場合もあるのです。そのことについて、実際に調査を行っている不動産鑑定士が窓口で待機し、ご相談者がいらっしゃった時に、パソコンで過去の調査結果のデータ(調査票、写真など)を見て、お話を聞きながら、再調査をした方がいいか、しない方がいいかについてアドバイスをさせていただきました。判定は10%刻みなので、これまでの調査結果を見てもうワンステップ判定が上がる可能性があるかどうか、被害の例示写真などを見ていただいて、この程度の損傷があるかなどを確認させていただきました。再調査を行った場合、その間、各種給付金の受給が遅くなってしまいますし、その上判定が下がって減額されてしまったら、何をしているかわからなくなるので、その点、状況を判断してアドバイスをさせていただきました。被災者の中にはよくわからず(人に言われて)、窓口にきている方もいらっしゃったので、アドバイスを受けたことで満足された方もたくさんいらっしゃいました。
窓口業務を担当した日、とてもいいことがありました。あの大黒摩季さんが被災地でミニコンサートを行うということでその前に市長への表敬訪問のために珠洲市役所に来られました。
表敬訪問を終えられ、エレベーターから降りてこられた摩季さんは私のいるり災(被災)証明書交付会場の前に来られ、笑顔でねぎらいの言葉をかけてくださり、握手もしてくださいました!私なんか、数日ここにきているだけで市の職員の方々はもっと大変な思いをしていらっしゃるのにと逆に申し訳ない気持ちになりましたが、たまたま窓口にいる日でラッキーだなと思いました✨✨
とても気さくで、その場にいる方と握手をしたりサインをしてあげたり、ツーショット写真を撮ったりとやさしさにあふれていました。ちゃっかり、集合写真に交じっております(笑)
【輪島市での活動】
珠洲市での活動が多かったですが、1日、輪島市へ派遣されました。輪島市では、全国からの応援職員がたくさん集まり、数十班の班体制で、調査が行われていました。応援職員の方は1~2週間単位で滞在され、数日経験したのちに班長として班員を引っ張るという体制で、応援職員のみの班体制となっていました。たくさんある調査対象の中には、非木造の建物があったり、住家ではない建物があったりと少し難しい物件があります。その物件の調査を補助するという意味で不動産鑑定士が混じる班も編成されることになりました。
長野県職員、宮崎県職員(2人)、北九州市職員との5人体制で輪島市門前地区の3件の調査を行いました。若くてかわいらしい女性職員も参加されており、大変な場にきてくださっていることに感謝の思いでいっぱいになりました。調査の方は、職員の方がとってもテキパキと作業をされていてびっくりするくらいでした。たまたまそんなに難しい物件ではなかったので、大したお役にも立てず💦。でも移動の車内でいろいろなお話ができて楽しかったです。調査がスムーズに進み、お昼の時間が空いたので、この日が派遣最終日となる方のご希望で、能登丼を食べに行くことになりました。地元では有名なお店のようで店内はいっぱいでした。
能登丼てどんなのだろう?と思ったのですが、豚肉のどんぶりでした。美味しかったです😋 能登丼についてくる輪島塗の箸が楽しみだったようで、記念にその方にプレゼントしました🥢
輪島市内、被害のひどさを目の当たりにしました。
【志賀町での活動】
志賀町では珠洲市と同じような窓口業務に入る予定で1日派遣されました。しかし、実際には、調査を行っている班へ急遽、加わることになりました。広島市職員、小牧市職員、鮭川村職員の3名とともに調査を行うことになりました。お話を伺うと、志賀町に宿泊されている方もいらっしゃいましたが複数人で一室であったり、金沢市と高岡市から毎日通われている方もいて大変だな~と思いました。新卒職員の方もいてなんでも吸収しようというキラキラした目に、私もそんな時代があったな~と、すっかりよどんでしまった今の自分を恥ずかしく思いました。
志賀町富来地区の2物件の調査を行いました。班の中で先生的な立場でちょっと緊張しましたが、みんなで協力して作業を行うことができました。お昼は石川県のソウルフード8番らーめんをみんなで食べました。
午前中の調査物件の計算途中でちょっと気になる点があったので、午後に再度お伺いしてヒアリングと建物の中の再調査をさせていただきました。きちんとした調査ができればと思い再訪し、対象の方にはご面倒をおかけしてしまいましたが、調査をした側としては納得ができたので良かったと思います。
活動は当初5月末までの予定だったのですが、市町の要望により6月も継続されることになりました。まだまだ活動は続きます!
【がんばろう!能登!】
公益社団法人日本不動産鑑定協会連合会の活動を伝える文章は→こちらです💡
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