2022.11.19 ほくてつハイキングに行ってきました!!
新聞広告でたまたま見かけ、行ってみたいなぁと思いました!
「ほくてつハイキング 第3弾 日本海と河北潟の眺望を楽しむ 砂丘の町 内灘めぐりコース」(歩行距離目安:約7.5km 歩行時間目安:約2時間)
内灘へは仕事でよく行きますが、いつも車で、なかなか歩くこともないし、そういえば内灘までの北陸鉄道浅野川線にも乗ったことないなぁ~。
2時間くらいなら歩けるかなぁ~と、天気が良い日を選んで娘と行ってきました!
金沢駅に到着!写真撮影中の観光客でいっぱいです。
北陸鉄道金沢駅は地下へ。
北陸鉄道金沢駅で「内灘まち歩きクーポン」を買って・・・
浅野川線に乗り込みました~。初めての浅野川線です!!
ことこと電車に揺られ、、、
内灘駅に向かいます。
車窓から大野川が。いい天気でとても綺麗です✨
終点内灘駅に到着。
まずは腹ごしらえということで、内灘まち歩きクーポン協賛施設の「らーめん藤」へ。
煮干しラーメンが有名ということで注文。ネギ多め、もやし多めに(多めオーダーは無料でした!!)、ライスも平日は無料。食べている最中もすごくたくさんのお客さんが来てて、人気店のようです^^ 美味しかったです😋 お腹パンパン💦
内灘町観光案内所でプレゼントをもらってから、また浅野川線に乗って、まち歩きスタートの「粟ヶ崎駅」へ。
駅舎内にあるQRコードを読み取って、マップを入手!!
サンセットブリッジまで歩くなんて、ダイジョブか💦💦という感じですが、元気にスタート!!大野川沿い遊歩道を歩いていきます。
清湖大橋を横から見るとは!!
この地下道に入って・・・
道沿いにてくてく。のと里山海道の近くまでやってきました。
ここからは、林帯遊歩道に入っていきます。
紅葉していて綺麗です。散歩をしている人とたくさんすれ違い、地元の人に愛されているんだなぁと感じました。
途中の樹々に名前と紹介文、QRコードがついて、いろいろ勉強しながら歩いていきます。中で一番好きだったのが「キャラボク」。葉っぱがとてもかわいかったです。
「鶴ケ丘神社」でお参り。
林帯遊歩道を抜けて、恐竜公園の方へ向かって歩きます。樹木が斜めっているのはどうしてでしょうか??
恐竜公園の手前で、中国風の門が現れました!! 恐竜公園にはよく行っていましたがこれは知らなかったです。
「内灘町と国際友好都市である中国江蘇省呉江市(現在は呉江区)との交流5周年を記念して設置された本格的な中国庭園で、「秀鈺苑」と命名されています。呉江は江蘇省南部にある都市で、琵琶湖の7倍の湖面を誇る太湖に面している都市です」
太湖、行ったぞ!!2019年に上海旅行に行ったときに太湖の内湖へ。そういえば雰囲気が似ているような気がします・・・
そして、恐竜公園へ到着。子供が小さいころ、よく遊びに来ていました~。懐かしい~。遊具はちょうど取り壊されてなくなっていました(リニューアルされるのかな!?)
だいぶ疲れていましたが(笑)、日本海が見えた!!
内灘町コミュニティバス「なだバスナディ」に乗ってしまおうかと思いましたが(笑)、もうすぐ、アイスクリームゾーンだと、がんばって歩きました。
金沢医科大学病院を過ぎて、「道の駅内灘 サンセットパーク」に到着!!
ご褒美のバニラソフトクリーム。美味しかった😋
体力が回復したので、いよいよ「サンセットブリッジ内灘」を歩いて渡ります。
こんな機会でもないと、歩いて渡ることはなかっただろうな・・・
さわやかな風が吹いて、気持ちよかったです。
河北潟放水路沿いにてくてく歩き、見晴台に。すごく綺麗にサンセットブリッジと河北潟が見えます✨
「幸せへの鐘」を思い切り鳴らし、
「ダブルハート💛💛」をみて、恋人の聖地もクリア。
コースだとこの後、内灘町総合公園内を歩かないといけないですが、体力も限界に近づき、そしてすでに夕方近く。。。ここから眺めるだけにして・・・
「歴史民俗資料館 風と砂の館」へ。
職員の方が親切で、まずはDVDを見た方がいいね!っと案内してくれました。
「粟ヶ崎遊園」・・・聞いたことはありましたが、こんなに夢があって楽しめる施設があったなんて、ビックリです!! すごくたくさんの人でにぎわっていて、娘もびっくりしてました。その種類の多さ、規模の大きさも想像以上でした。昔卯辰山にあった金沢ヘルスセンターを思い出しました。大正15年から昭和19年。楽しい時代だったのですね。跡地の周辺地域、今は住宅地になっていますが、今でも「遊園地」と呼ばれているそうです。
「内灘闘争」・・・これも聞いたことはありましたが、基地反対運動だったのですね。それも戦後初の。もしこれがなければ、今の内灘はどうなっていたのだろうと思います。政府との条件闘争ややり取りなど生々しかったです。短い期間ではありましたが、実際に砲弾試射場があったのですね。今も「鉄板道路」という名称が残っており、昭和27年から32年まで米軍の砲弾を運ぶトラックの臨時輸送路として、砂地に穴の開いた鉄板を敷設していたそうです。
「河北潟」・・・かつては北陸最大の湖であり、村民の漁場として重宝されていましたが、潟を埋め立てて農地に切り開こうという試みは、小規模ながらも古くから何度も繰り返されてきたそうです。豪商銭屋五兵衛が私財を投じて干拓を試みましたが、埋め立ての土砂を固めるのに石灰を使用したことを毒物を流したと曲解され、翌年、付近で発生した伝染病の原因がその毒物で汚染された魚を食べたからと噂され、このため五兵衛は投獄され、獄中死したため事業は中断されたそうです。その後、国営干拓事業により、1964(昭和39)年8月の起工から85(昭和60)年5月の完工まで実に20年もの歳月を要し、約3分の2が埋め立てられました。しかし、そのころには減反政策の時代に代わっており、畑地への造成に代わるなどしたものの使われれない土地も残っています。
じっくりDVDを見ることでとても理解ができました。こういう過去を次の世代にきちんと伝えていかないといけないなと感じました。「歴史民俗資料館 風と砂の館」の2階は凧や古い道具がたくさん展示されていて、思ったより楽しかったです。
最後の地点は「展望温泉ほのぼの湯」。ですが、すっかり日も落ちかかり、もう帰らないといけないので、お風呂に入るのは、今回断念しました。
バスに乗って内灘駅に帰ってきました。また電車に乗り・・・
金沢駅に帰ってきました!!
いやぁ~いろいろ楽しかったです。約2時間と書いてあったのですが、スタート地点の「粟ヶ崎駅」を午後1時すぎに出発し、「歴史民俗資料館 風と砂の館」を出たのが午後4時40分ごろ。実に3時間半もかかってしまいました💦
時間を気にせず、ふらふらと寄り道しながら歩くものも良かったです。内灘町のこともよく分かったし、また、こんなイベントがあったら参加したいなぁと思いました。
この日の万歩計は「15,000歩」となっていました!!お疲れ様でした!!
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